スマホで十分だった僕が、機械式腕時計を持つようになった話

 

長いこと、腕時計は必要ないと思っていた。

時間を確認するならスマートフォンを取り出せばいい。
それで十分だと思っていたし、実際それで困ることもなかった。

僕の仕事は基本的にデスクワークだ。
対外的な打ち合わせもほとんどなく、顔を合わせるのはチームメンバーくらい。

だから腕時計というものが、生活の中で必要になる場面がなかった。

いわゆる「時間確認するならスマホでいいじゃないか」派だった。


腕時計が必要になる瞬間

ただ、歳を重ねるにつれて少しずつ状況が変わってきた。

社内の別部署の人と話す機会が増え、
会社の外の人と顔を合わせることも増えてきた。

そこでふと気づいた。

会話の途中で時間を確認するたびに、
ポケットからスマートフォンを取り出すのは少し具合が悪い。

もちろん悪いことではない。
でも、会話中にスマホを見る仕草はどうしても
「別のことをしている人」に見えてしまう。

その点、腕時計なら視線を少し落とすだけだ。

それくらいのさりげなさが、案外ちょうどいい。

腕時計を考え始めたのは、そんな理由からだった。


どうせなら、真逆のものを

ただ、腕時計を選ぶときにも
僕の中には最初の価値観が残っていた。

「時間を知るだけならスマホで十分」

そう思っている以上、
機能性だけで腕時計を選ぶのはなんだか違う気がした。

だから、いっそ真逆を選んでみることにした。

スマートフォンは電子機器の極まりだ。
それに対して、機械式時計はアナログの極みと言っていい。

合理性で言えばクォーツ時計の方が正確だし、
スマートウォッチの方がよほど便利だ。

それでも、わざわざ機械仕掛けの時計を使う。

少し無駄で、少し余裕のあるもの。
そういうものを生活の中に入れてみるのも悪くないと思った。


気づけば4本

そして現在。

僕の手元には動く機械式時計が4本ある。

……少しハマってしまった口だと思う(笑)。

ただ、さすがにこれは手を出しすぎたとも思っている。

人間の手は2本しかないし、普段巻くのは1本だ。

オーバーホール中の予備だなんだと理屈こねたとしても常人の範囲なら2本で事足りるし、

趣味を兼ねた平日日替わりだと言い張るにしても5本が上限だ。

それ以上は、たぶん必要ない。

少なくとも僕にとっては。


趣味は制限の中で楽しむ

投じることのできる時間もお金も限度がある以上、趣味はその制限の中で楽しむくらいが健全だと思っている。

制限を取り払うと際限がなくなる。
際限がなくなるとどこかで破綻するか、あるいは飽きてしまう。

だから自分の中でルールを決める。

抱えるのは4本まで。増やすなら代わりに手放す。

もし手放せないくらい気に入っているなら、
そもそも増やす必要も、入れ替える必要もない。

時計に限らず、趣味というのはそのくらいの距離感の方が長く続く気がしている。

成果を急ぐことはない。


最初の一本は運命でなくていい

時計趣味の人たちから見れば、
僕はとんでもない新参者だ。

そんな人間が語るのも大げさな話かもしれない。

趣味性の高いものは、どうしても合う合わないがある。

もし、色々な時計のブログや読み物を読んで手を出してみようと考えたなら

最初の一本から「運命の一本」を見つける必要はないと思う。

まずは一本使ってみる。

そして、機械式時計という
ちょっとした無駄を自分の生活に受け入れられるかどうか。

それを確かめてみればいい。

もしそれが心地よいと思えたなら、
そのとき改めて自分に合う一本を探せばいい。


ほどよい距離で付き合う

前項の通り、惚れ込んだよっぽどの理由が無ければ増やす必要はないと思うし、

その為に好きで買った物に対して無理やり理由を探して手放す必要もないと思っている。

そもそも僕にとって時計は一番の趣味というわけではない。

だから常に至上の一本を探してアンテナを張り続けるわけでもない。

このブログでも、時計の記事はきっとそれほど多くならないと思う。

でも、それくらいの温度感でいい。

機械式時計は、時間を知るための最適な道具ではない。

けれど、生活にほんの少しの余裕を与えてくれる。

今のところ僕は、そんな距離感で付き合っているし、

買った時の思い、使っていく中での思い、手放すときの思い、そんな感情をつづれればと思っている。



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